遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。2007年6月より週1回、HPと宮日新聞の「あどパーク」で掲載してきた『ペット豆知識』シリーズも23回を迎えるまでに至りました。豆知識とは申しましても、回によってはかなり突っ込んだ内容まで紹介することもあります。一回分の記事を書くだけでも、日々の診療の合間を縫っては、成書をはじめ、何本もの文献を読み、さらに原語の成書や論文を訳し、専門用語だらけのそれを一般の方にも分かるようにまとめ、それでも校正には赤ペンだらけで、実は私なりにかなり苦労して書いております。それでも患者様から「いつも読んでますよ」とか「今回の記事、おもしろかったですよ」といった声を時折聞くと、私自身、非常に嬉しく感じると同時に、次回作への大きな意欲となります。
テーマは『難しい病気をより分かりやすく、怖い病気をより身近に』。今後も一生懸命掲載していきますので、2009年もペット豆知識をどうぞよろしくお願いいたします。
膵炎は5人に1人が死亡する怖い病気
膵炎、と聞いて何を思いますか?人間の劇症急性膵炎といえば、飲み過ぎ・食べ過ぎのメタボなおじさんたちが罹りやすい代表的な生活習慣病でおなじみです。つまり、多すぎるアルコール摂取や、血中の中性脂肪の慢性的な上昇(高脂血症)により40代をピークに発症する男性(女性の2倍!)に多い急性疾患です。重症急性膵炎の21%は死亡することから、非常に死亡率の高い怖い病気なのです。あなたのお宅にも上記にぴったり当てはまる方がいるのではないでしょうか?
さて、犬や猫ではどうでしょう。人間ほど重篤化しやすいわけではなく、多くは軽症で済むものの、ひどいものではやはり非常に苦しみながら死亡する危険な疾患です。人と共通するのは、食餌性による急性膵炎が多いということです。人間の場合は自分で好きなものを食べて飲んで膵炎になりますが、犬の場合、飼い主が膵炎を作りだしてしまうと事があるといっても過言ではありません。
特に強調したいのは、膵炎はとても一般的な病気だということです。単なるネットに載っている難しい病気だとは思わないでください。詳しく説明していきましょう。
膵炎のリスクとなるもの
急性膵炎は犬の方が猫よりも多く、人間同様、中~高齢で多いですが、性差はありません。現在、膵炎の原因として考えられているものはいくつかありますが(下記表を参照のこと)、確信的な原因は不明です。しかしその中でも特に注目していただきたいのは、肥満、それから脂肪分の高い食餌の給餌です。ドキっとしていませんか?
体の中が溶けはじめる・・・
膵臓とは消化酵素を分泌し、それを消化管へと送り出し消化を助けるという役割を担っています。消化酵素はタンパク質分解酵素であるキモトリプシンやトリプシン、炭水化物の分解に働くアミラーゼ、脂質の分解に働くリパーゼを分泌しています。これらの消化酵素は膵臓では『前駆体』といってそれ自体では活性しないように保存されていて、それが消化管に出たとき、胃液中のペプシンや小腸のエンテロペプチターゼと反応することで、『活性酵素』となり実際に働けるようになります。
このように面倒なことを行うには訳があります。膵酵素は非常に強力であるため、膵臓自体を消化してしまわないようにするためなのです。膵炎はその病態がいささか複雑で未解明の点も多々ありますが、下記の表に示したような機序により、膵臓内で酵素原(前駆体)が活性化して自己組織を消化し始めることによって起こるのです。平たく言えば自分で自分を溶かしだす状態となるのです。このとき、膵臓は十二指腸や肝臓、胆のうなどに囲まれているため、さまざまな臓器をも巻き込み(特に猫では三臓器炎といって、膵炎、肝・胆管炎、腸炎を併発する)合併症を起こして一気に重篤化していきます。これは膵臓をはじめその周辺組織に止まらず、血液を通して全身に循環された膵消化酵素は全身の臓器をも消化しはじめ、いわゆる「多臓器不全」へと進展するのです。
犬では激しい嘔吐、猫は食欲不振
症状は軽症例から重症例まで大きく幅があります。軽症例ではわずかな症状で終わるか、ほとんど症状を示さないまま自己完結的に終わる場合もあります。しかし、重症例では直ちに適切な処置を施さなければ致死的な状態に伸展します。
犬の重症急性膵炎は一般に発生初期に突然の激しい嘔吐や腹痛、元気消失が起こり、下痢や黒色便(小腸からの出血のため)が認められます。非常に強烈な腹痛を伴い(特に前腹部の触診が重要)、「祈りの姿勢」と表現される、後肢を起立し、前肢を前方に伸ばすような姿勢が見られる場合があります。急性膵炎の場合、特定の症状が現れない『あいまい』なものから、ショック状態に至るものまで種々雑多です。以下に書く猫で多い慢性膵炎は、時折の症状で、断続的に続くものがおおく、なかなか診断されないことがしばしばあるのです。
猫の膵炎は犬と異なり、不顕性(症状が無い)で経過し、軽度の慢性間質性膵炎が多いとされています。嘔吐は必発ではなく、倦怠、体重減少、元気や食欲減退などの非特異的な症状で顕性化されます。それはしばしば診断を困難にするので、解剖(剖検)で膵炎が確認されることもしばしばあるとされています。
※ちなみに、猫では解剖学的に胆管と膵管が同一となって十二指腸に開口するため、膵炎が胆管炎と肝・胆管炎と同時発症することが多々あります。猫では免疫が関与しているとされるリンパ球性・プラズマ球性肝・胆管炎がしばしば見られます。特に「黄疸」を呈するような症例では「膵炎」の同時発症も疑うべきでしょう。(下記表参照)
機械では診断できない診断法
人医療同様、我々が最も膵炎の指標として一般的に用いるのは血中アミラーゼの測定です。しかしながらこれは人間とは違い、確定診断できるほど貴重なエビデンスとなるわけではありません。(アミラーゼは、肝臓や腸管にも存在するため)リパーゼについても同様です。一方、トリプシンは膵臓に特異的で、トリプシン様免疫反応物質(TLI=Serum Trypsin-Like Immunoreactivity)の測定は膵炎の診断に役立つ指標であると言えます。現在ではほかにもPLI(=Serum Pancreatic Lipase Immunoreactivity、膵臓に特異的なリパーゼ)などは診断に有用ですが、こういった類いの酵素は病院内ですぐに測定できないのがデメリットです。
※アミラーゼは腸粘膜などにも存在するため、特に腸炎で増加し、肝臓疾患や悪性腫瘍でも上昇する場合がある。また、人間で用いられているアミラーゼ測定法では犬の血清中に高濃度で存在するマルターゼとグルコアミラーゼをアミラーゼ値に含めてしまうので、正確な診断には上記のTLI Assayが必要とされている。
※膵炎の診断法は、上記のTLI、PLI、アミラーゼ、リパーゼ以外に、CRP(C-Reactive Protein Assay、人医では炎症性蛋白として一般的でルーチンの検査である。犬でも専用のキットが販売されたがその後消滅した経緯あり)、尿中または血中TAP(Trypsin Activation Peptide)などもあるが、現在の獣医療では前4者以外は一般的ではない。
また、膵炎は症状が様々であるため、必ずしも最初は膵炎と診断されない場合もあるのです。膵炎診断の本質は、合併症を診断する、あるいは否定することが重要なファクターとなり、治療に大きく影響するのです。ほかにも、エコーやX線でも診断することがありますが、画像検査で発見できるようなものはかなり重症化しているものに限られています。
つまり、どれも決め手に欠く検査しかないのが現状で、病院内の検査では非常に”もやもやした”結果しか得られません。重要なのは臨床症状とデータを組み合わせて、『機械』ではなく『獣医師』が診断するということなのです。
犬には食べさせない、猫には食べさせる
一番の治療は、意外かもしれませんが、 “食べない”と言う事です。犬では48~72時間は薬物を含め一切の経口摂取を禁止し、それでも嘔吐が収まらない場合はさらにその期間を延長することも必要となります。加えて、輸液(静脈点滴)や抗生物質の投与など対症療法的な集中治療を行います。また壊死した膵臓の組織への腸内細菌の二次感染を防ぐ意味でも抗生物質を投与します。制吐剤の投与も考慮する必要もあります(制吐剤には腸管の蠕動運動を亢進させ腸重積を惹起するものもあるため慎重を要する)。なにより、膵炎の痛みは半端じゃありません。そういった痛みがある場合には、もちろん鎮痛剤の使用も考慮しなくてはなりませんが、当然、胃腸粘膜にできるだけ優しい薬剤を選択しなければなりません。
また、何度も言う通り、合併症が複雑なため、膵炎以外のケアも怠らないことは言うまでもありません。
※膵炎の場合、以前は絶食が基本でしたが、絶食が膵炎の治癒にプラス因子であるとの証明はありません。むしろ経口的栄養摂取が膵炎の回復率やそのスピードを増大させると考えられています。最低24時間の絶食は嘔吐への対処であり、最近では嘔吐がなければ積極的に給餌すべきとも考えられています。食餌の内容は脂肪と蛋白を制限する必要があります。経口的に摂取不能な場合には胃チューブの設置や経静脈的なアミノ酸や脂肪の点滴も考慮すべきです。
一方猫では、絶食をすべきではないというのが現在の見解です。この根拠は、猫では犬と違って、嘔吐もなく、食欲不振が見られるだけであることが殆どなので、むしろ強制的に食べさせるほうが重要であると考えられています。
※猫では原因や病気が何であれ、食欲廃絶は致命傷となる場合があります。これは「肝リピドーシス」(Hepatic Lipidosis)といって、食餌で蛋白質を摂取しないと肝細胞内が脂肪(滴)にとって代わり、肝細胞が不可逆的に死滅し、個体が死ぬ破目に陥り、恐ろしい結末を迎えます。猫では多少吐いていても、栄養補給のために”強制給餌”を試みなければならないケースも有り得ます。いずれにしても、猫で食欲が廃絶するような場合には、このことを念頭において、早めに病院に行きましょう。
おなかにやさしいごはんを
絶食・絶水の後に嘔吐が収まったら、慎重に給与を始めます。まず少量の水を与えて嘔吐がなければ、“おなかにやさしい”食餌から始めます。基本は「低脂肪」・「高炭水化物」・「良質なタンパク」の三種の神器が揃った消化器ケアフードを与えていきます(病院で処方してもらうのが賢明でしょう)。それでも万が一嘔吐が再度起きたら、また絶食生活からの再治療を始めなくてはなりません。
最後に
予防は、なんといっても食餌の改善でしょう。肥満は直ぐにダイエット開始です!高脂肪食は、人間同様膵炎のリスクを増大させます。日々の食餌管理は、万病の予防となります。今日からでも実施できる予防ですので、ピンと来た方は110番、じゃなくってフードを変えてみるのもいいでしょう。
個人的な印象では、夜間救急の来院理由のトップ3は、「嘔吐・下痢などの消化器系」、「心臓病や肺炎などの呼吸器・循環器系」「びっこや麻痺など運動器系」だと考えています。嘔吐には胃腸炎や腎不全、肝不全、毛玉や薬などの異物の誤飲、腸閉塞、ウイルス感染症、そして膵炎など、あげればキリがありません。元気消失、食欲減退、嘔吐、下痢などは甘く見ずにできるだけ早めに獣医師の診察を受けるようにしましょう。
※通常の動物病院には、より確定診断に近いTLIやPLIを計測できる設備がありません。これらの測定は特定の検査機関に依頼せざるを得ないのです。正確には最近までTLIの診断キットが市販され、利用可能でしたが、採算面からか販売中止となりました。どうしても測定値が欲しいのであればアメリカなど外国の検査機関に依頼する必要があります。「待った無し」で一刻の猶予もない治療開始には徒労と言えるかもしれません。裏を返せば、臨床症状とアミラーゼの測定で充分に対処できることを示しているとも考えます。実際、当院では血中アミラーゼの推移と臨床症状の改善状況の把握で、特に問題なく、満足し得る良好な治療成績を得ています。獣医界の専門科は未だ発展途上にあり、現在の”総合医療”段階での一般開業獣医師が、患っているペットに対して、仮にでも「診断名」(仮診断)を付けることは非常に重要なことであるはずです。
※今回は膵炎でも急性膵炎を書きましたが、特に犬の場合の慢性膵炎については、急性とは異なる症状を示し、違った治療法が選択されます。今後、機会があれば紹介します。
※以前当院では、ミニチュア・シュナウザーが竹串を誤食して十二指腸穿孔を起こし、劇症の急性膵炎も併発し、死亡した症例に遭遇した経験が有ります。場合によっては、試験的を含めて開腹手術を考慮すべき症例も存在することを念頭に入れて置くことも肝要でしょう。
追:早いもので私も4月より獣医師となって2年目を迎えます。日ごとに増す責任の重さ・手術や麻酔の修練・夜間救急医療の技量アップ・それにも増す人間性向上にと、精進の毎日です。そこで、言い訳じみているかも知れませんが、毎週の「豆知識」は月に1~2回の掲載とさせていただきます。何卒、御理解・御了承下さい。
文責:小川篤志