今回は、雌に多い疾患と避妊手術の関係について述べる。
はじめに、雌の「避妊」手術という言葉の意味の真意は・・・? 獣医医療では、一般的に卵巣・子宮を全部摘出する手術のことを指す。正式な英語名はPanovario-hysterectomy=「卵巣・子宮全摘出術」である。同様な意味で不妊手術という言葉も使用されるが、正確には、避妊とは“人為的に妊娠を避ける処置をすること”、不妊手術とは“卵巣を保存したまま妊娠を不可能にする手術”とある。したがって、厳密には雌の卵巣・子宮を摘出する手術をさす場合には、不妊手術という言葉は不適であろう。
※※※われわれは、雌の「避妊」手術のことを、上記を略して「O-H」(オーハー)とも言う。Spay(スペイ=雌における去勢)も一般的に使われるし、辞書にも載っている。雄の去勢はCast(キャスト、Castration)と言う。
まず、雌の犬猫に多い病気としてまず挙げられるのが、乳腺腫瘍である。以下、乳腺腫瘍について詳しく述べる。
★国立がんセンターによると、日本人女性の部位別がん罹患率第一位は乳房の腫瘍となっている。
★人と同様、犬猫の乳房の腫瘍も罹患率の高い腫瘍(全体の50%以上)である。部位別腫瘍罹患率をみると、雌犬では最も多く、雌猫では1番目の造血系の腫瘍、2番目の皮膚の腫瘍に続き、3番目に多い(全体の17%)。
★犬猫の乳腺腫瘍発生時の平均年齢はおよそ10歳である。犬の乳腺腫瘍発生率は6歳で1%、8歳で6%、10歳ではさらに増加し13%となっている。
★犬の乳腺腫瘍の約半数は良性、残り半数が悪性となっており、さらに悪性のうち約半数が転移すると言われている。一方、犬に比べ猫では悪性度が高く、少なくとも85%が悪性であり、その80%以上が死亡時に他の臓器への転移が見られる。
★予後と腫瘍の大きさには深い関わりがあるが、乳腺腫瘍の場所や数は予後に影響を与えないといわれている。犬の場合、3cm以下の腫瘍がある犬は、それ以上の腫瘍がある犬に比べて明らかに予後が良い。猫の場合、3cm以上、2~3cm、2cm以下の悪性腫瘍がある猫の乳腺切除手術後におけるその後の寿命は、平均でそれぞれ、4~12ヶ月、15~24ヶ月、3年以上との報告がある。
★ちなみに、人では妊娠により乳腺腫瘍の発生率は低下するが、犬の乳腺腫瘍ではそのような関係は立証されていない。人では妊娠期間中における乳腺組織へのエストロゲンの暴露がないためと考えられている。
★一方で、以前のペット豆知識でも述べたように、犬の肥満は乳腺腫瘍のリスクを高め、1歳(他の研究・報告では9~12ヶ月)の時点で肥満であった犬は乳腺腫瘍に罹患しやすくなる。
そして、重要なことはこの乳腺腫瘍の発生率はホルモンに強く影響され(性ホルモン依存性という)、避妊手術によって乳腺腫瘍の発生率は大きく低下する、ということである。
★犬では初回発情以前に避妊手術を行うと、乳腺腫瘍の発生率はたったの0.05%である。しかし、初回発情後に避妊手術を行ったものでの発生率は8%、2回目の発情後に行ったものでは26%となり、急激に増える。2回目の発情後の避妊手術は良性の乳腺腫瘍の発生率は低下させるが、悪性の乳腺腫瘍の発生率は変わらないと言われている。
★また、猫では6ヶ月齢までに避妊手術を行うと、乳腺腫瘍の発生率はおよそ7分の1にまで減少し、2歳(文献によっては6歳)になる前までに手術を行うと乳腺腫瘍の発生率が低下する。より最近の研究では、6ヶ月までに避妊手術を行うと91%、1歳までに避妊手術を行うと86%も乳腺癌のリスクが減少するという。
★その他、当然だが、避妊手術を行うと卵巣・子宮の腫瘍を防ぐ(あるいは治療する)事になるが、犬猫における卵巣・子宮の腫瘍は乳腺腫瘍に比べ発生率が低く、まれである。
卵巣の腫瘍の発生率は、犬で0.5~1.2%、猫で0.7~3.6%であり、子宮の腫瘍の発生率は、犬で0.3~0.4%、猫で0.2~1.5%である。
雌犬には「子宮蓄膿症」という、もう一つの罹患率の高く重大な病気がある。以下に詳しく述べる。
★子宮蓄膿症とは、その名のごとく子宮内で細菌が増殖し、膿が貯まる病気である。
★子宮蓄膿症は、先に述べた乳腺腫瘍よりも発生年齢がやや若く、犬で平均6.5~8.5歳で罹患する。10歳までの罹患率は23~24%といわれている。
★発情後1~2ヶ月の黄体期に発生し、交配の有無とは関係しない。
★産歴との関係が強く、未経産犬は経産犬に比べて約6倍リスクが高まり、繁殖を繰り返している犬では発生率はさらに低下する、とされている。
★また、合成黄体ホルモンやエストロジェンの投与により発症のリスクが高まる。
★症状は食欲不振、元気消失、熱発、嘔吐、腹部膨満、外陰部からの膿排泄、多尿・多飲(発熱や感染細菌の内毒素によって引き起こされる腎障害による)などがあげられる。体温は急性型では上昇気味で、慢性型では平温以下となる。経過はさまざまだが、急性型では1~2週間で重篤となる。無治療で経過すると敗血症や内毒素血症を引き起こし、死に至る。
★正常な犬では子宮頸は開いているが、子宮蓄膿症では子宮頸が閉まっていることがあり(非開放型)、この場合、開放型に比べ重篤化しやすい。
★膿汁から検出される細菌は、外陰部からの侵入と考えられる大腸菌が最も多く、80%以上がそれである。
★基本的な治療は子宮・卵巣摘出手術を行うのだが、血小板の減少、全身状態の悪化、腎不全などのリスクを抱えた状態で手術となるケースも少なくないため、麻酔のリスクは格段に高くなる。
★★乳腺腫瘍の予防の為、早い時期での避妊手術がベストである。犬での性成熟は平均9~10ヶ月(6~24ヶ月)である。また、小型犬では大型犬に比べて性成熟の時期が早い。発情は平均7ヶ月(4~12ヶ月)のサイクルで生じる。
★★猫の初回発情は平均7ヶ月、体重2.3~2.5kgに達したときに認められ、雄猫に比べ1~2ヶ月も早い。また、猫は季節繁殖動物であるため、出生時期により初回発情時期が変わり、屋外の猫は冬には発情しない場合があるとされる。
★★子宮蓄膿症は緊急手術を要する疾患であるが、先に記述したように、麻酔のリスクが非常に高く、正しく「命がけ」の執刀となる。心臓病や腎臓病などの基礎疾患(持病)が無ければ、できれば10歳くらいまでに避妊手術を行うことをお勧めしたい。
★★つい最近まで、未避妊犬(=intact)における生涯の子宮蓄膿症罹患率は約60%と言われていたが、このところの寿命延長で、それ以上(約80%)の犬が本症に罹るものと予測される。
★★10歳以上の犬猫では避妊手術を積極的に勧めることはできないが、乳腺腫瘍はその大きさと予後に密接な関わりがある。日頃からスキンシップを大切にして、嫌がらずに体表のチェックが可能な状況にしておくことが重要である。また、犬の子宮蓄膿症は発情後1~2ヶ月に発症うることが多いことから、その時期に、食欲不振、嘔吐、元気消失・・・といった症状が見られたら、病院へ直行する。
★★その他、避妊手術は膣過形成や膣脱、膣の腫瘍、猫の乳腺過形成などの疾患を防ぐことができる。
◎◎避妊手術の「罪」は「肥満」である。その原因として、①エストロゲンが中枢性(脳に作用して)に食欲を抑制している、②ホルモンが細胞内代謝に影響している、③避妊手術により活動量が減る、などが考えられているが、今尚、不明である。
文責:獣医師・棚多 瞳