歩行異常シリーズでは今まで2回に亘り、後肢の疾患について述べたが、第3弾の今回は少し思考を変えて前庭疾患、特に特発性前庭疾患について述べたい。ふらついて歩く犬や猫の病気の源が、足や脊髄ばかりと早合点してはいけない。耳や脳内には前庭という器官があるのをご存知?
●まずは前庭とは何処にあり、どのような働きがあるのだろうか?
耳は外耳、中耳、内耳で構成されており、前庭はその中でも内耳(耳の一番奥)に存在する。具体的には半規管、卵形嚢、球形嚢からなり、頭部の空間における位置、頭部の加速や減速(直線的、回転)を感覚する。分かりやすく言うと、頭を上にして立っている、走っている、止まっているなどといった事を感覚する。
この前庭器官で得られた感覚情報は、第Ⅷ脳神経を伝わって延髄(前庭神経核群)に達し、その後小脳に伝えられる。
前庭疾患とは前庭(内耳)から延髄・小脳に至るまで、そのいずれかあるいは複数カ所に異常をきたす疾患である。
●原因としては末梢性と中枢性がある。
末梢性では中耳・内耳炎、特発性(原因の分からない)、先天性前庭疾患(秋田犬、ビーグル、シャムなどで見られる)、腫瘍、特発性前庭炎、外傷、中毒などがある。中枢性では奇形(水頭症など)、腫瘍、外傷、血管性(梗塞、出血など)、炎症(ジステンパー、トキソプラズマなど)などがある。
●このように前庭疾患の原因は様々であるが、日頃よく遭遇する特発性(原因の分からない)前庭疾患について以下に述べる。
**犬では中年から老年に多いため、(平均12.5歳)老年性前庭症候群とも呼ばれている。
**一方猫は年齢に関係なく罹患する。また、夏から初秋に多いという報告がある。
**前庭は先に述べたような機能を持つ為、症状としては斜頚(病変部に傾ける)、運動失調、眼振(=眼球振蕩、水平・水平・回転眼振がある)、転倒、回転、横臥姿勢、嘔吐などがあげられる。
★眼振とは、眼球の持続的で不随意な(意思とは関係無く)往復運動のことで、前庭疾患の場合、一方向へは早く、他方向へはゆっくりと動く。これは、回転していた動物や人が急に止まった時と同じ眼球の動きをする。
★水平眼振には急速相と緩徐相があり、ゆっくりと戻る緩徐相の方向側に病変(原因)がある。
**発症は急性であり、24時間以内にピークの来ることが多い。通常、眼振は数日で無くなるが、運動失調は1~2週間(3~6週間とも)で少しずつ改善される。ただし、斜頸は改善されない場合もあるが、ほとんどの例で消失する。また、悪心を起こし、数日間食欲不振に陥ることがある。猫では嘔吐はあまりみられない。2~3度、再発するケースも少なくない。
**この疾患を発症した場合の治療としては、点滴(嘔吐による誤嚥予防の目的で絶飲絶食させるため)、ビタミン剤(B群)注射、抗ヒスタミン剤、ジアゼパム、制吐剤の投与などが挙げられる。これらに加え、前庭疾患では家庭でのケアが重要な役割を果たす。前庭疾患では、正常に歩けないため物にぶつかる事が多く、その時眼を傷つけないよう注意する必要がある。また、狭いところに入って抜け出せなくなり、興奮して高体温になったケースもある。そして、最も大切なことは、唾液や嘔吐物を誤嚥させないことである。先に述べたように嘔吐するケースも多いため(文献によると全体の約25%)、誤嚥を防ぐため、重症の場合には絶飲絶食を余儀なくされる。
**唾液や嘔吐物を咽喉や気管に詰まらせて窒息することも恐ろしいが、誤嚥性肺炎は酸吸引性肺炎とも言われるほど胃液の気管内吸引が問題となる。胃液のpHを上げるためにH2ブロッカーの投与も欠かせない対症療法となる。
●一方、特発性前庭疾患とは別に、中枢性(すなわち延髄や小脳に異常がある場合)前庭疾患では固有感覚の消失、垂直眼振、脳神経症状、意識レベルの低下などがある。「人では脳卒中の発生率は高いが、犬や猫では脳卒中は珍しい」と以前は考えられていた。しかし、最近の報告では「獣医療の発展とともに、犬や猫での脳卒中の発生を認めるケースが増えている」としている。犬では脳梗塞のリスクを高める素因として、高齢、甲状腺機能低下症、高脂血症(ミニチュア・シュナウザーなどで多い)、凝固障害、腫瘍などが考えられている。症状は方向感覚の喪失のみといった軽いものから死にいたるものまで多様だが、人と比べて回復しやすく数日から数週間で改善を認めるケースが多いのではないか、と言われている。
●ついこの間、16歳になる院長の愛犬(老犬)ベルも例外なくこの前庭疾患を発症した。その時の状況を親仁ギャグ(6月26日分)に掲載している。詳しくはここをクリック。
文責:獣医師 棚多 瞳