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4月12日(木)のMRT「ペット・ラジオ診察室」のテーマは「ハチ公の死亡診断書」です。

<忠犬ハチ公の死因で最近明らかになったこと>

○渋谷駅と言えばハチ公、ハチ公と言えば渋谷駅、否、忠犬だ。
○ハチ公は秋田犬で、1923年(大正12年)11月10日生まれ。関東大震災の直後である。出生地は、秋田県北秋田郡大舘町。飼い主は上野英三郎(うえの ひでさぶろう、1872年1月19日~1925年5月21日)・東京帝国大学教授(教授就任は1911年=明治44年)。
○上野氏が念願の秋田犬を飼い始めたのは1924年(大正13年)。しかし、ハチ公を飼い始めた翌年の1925年(大正14年)の5月、大学で教授会中に脳溢血で倒れ急逝。
○生前、上野氏は出かける時には常に渋谷駅まで共にし、ハチ公は毎日同駅でその帰りを待っていた。
○上野氏の死後も毎日渋谷駅前で亡き主人の帰りを待ったので、それが新聞記事となり、「忠犬ハチ公」と呼ばれ始め、1934年4月21日、ハチ公の生前に銅像が建てられた。現在の銅像は1948年(昭和23年)に再建されたもの。
○1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチ公は渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で死亡しているのが発見された。ここは渋谷駅の反対側で、ハチ公が普段行かない場所であった。満11歳と4カ月であった。(以上、Wikipediaより)

◎剥製は東京・上野の国立科学博物館に所蔵されている。
◎臓器標本は東京大学農学部資料館に保存されている。
◎ハチ公は1935年3月8日午前2時に死亡し、死後13時間経過した午後3時に当時の帝国東京大学、現在の東京大学獣医学科病理学教室に搬入され、解剖に供された。
◎解剖の所見は、フィラリア症による腹水症および肝臓の線維症、胃の中の4本の竹串が存在したが、当時は、まだ顕微鏡観察が一般的でなく、詳細な死因は不明であった。
◎悪口を言う人間は、ハチ公の死因は竹串が肺などの内臓に刺さったことが直接の死因だろうとした。

●この度(2010年=平成22年)、76年間の長い時を経て、同じく東京大学獣医学科において保存臓器のMRIと改めての病理組織検査が実施された。
●その結果、MRIによって肺と心臓で広範囲な腫瘍性病変が見られ、組織検査でも悪性腫瘍の増殖病巣が確認できた。しかし、長期のホルマリン固定による組織の劣化により、腫瘍の名称は確定できなかったが、肺を原発とした癌肉腫の心臓転移である可能性が高いことが推察された。
●従来通り、フィラリアの重度寄生と肝硬変も認められたが、竹串は胃の中に留まっており、肺や肝臓などの臓器を穿刺した所見は無かった。(「新たに判明した忠犬ハチ公の死因に関する病理学的所見」内田和幸・藤原玲奈・佐々木伸雄・中山裕之/日獣会誌Vol.64,pp754-758.2011)

 ハチ公はその生前から日本をはじめ、世界にも知られた犬であった。秋田犬で11歳と4カ月は今でも長生きの方であり、その死亡の主要な原因として肺癌の存在が判明したのは意義深い。私も昨年末、渋谷のハチ公銅像に触れてきたが、また行った時はその体中を撫でてあげて、犬のステータスを世界レベルで高めたその功績に対し、改めて敬意を払おうと思うハチ公銅像の写真有

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