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8月2日(木)のMRT「ペット・ラジオ診察室」のテーマは「もうひとつの南極物語」です。

 過日、「忠犬・ハチ公」の死因に関する最新情報を話しました。今回は、「もうひとつの南極物語」とも言われている三毛猫の「タケシ」についてひと講釈を垂れてみます。

○最近猫を飼う人が増えている。その理由としては、①アパートなどでも飼いやすい、②経済的負担も少ない、③散歩などの管理負担が少ない、④譲渡会などボランティア活動の影響・・・等が挙げられる。
○こじつけ(無理強い)でしょうか、当然でしょうか、三毛猫の来院も増えてる。
○三毛猫の♂は漁師などに人気。理由は、①航海の安全の守り神、②時化(近づくと暴れ出す)などの天気予報をしてくれる・・・との迷信(失敬?)が漁師町に残る。
○三毛猫が通常雌であるのは、三毛(白黒茶)のうち茶色(オレンジ)がX染色体に乗っかっている伴性遺伝であるから(他にも♂三毛猫が誕生する機序はいくつか解明されている)。
○♂の三毛猫が生まれる確率は三毛猫1000頭に1頭程度である。
○モザイク、遺伝子乗り換えの場合は生殖能力をもつことがある。日本では2001年に確認され、現在も世界で唯1頭存命中。♂の三毛猫が交配しても♂の三毛が生まれる確率は変わらず。

○そこで「もうひとつの南極物語」と言われるの由縁である三毛猫「タケシ」について調べてみると・・・
○1956年(昭和31年)11月8日、南極に向け晴海埠頭を出航する第一次南極船「宗谷」に乗船し、昭和基地で一冬越した♂の三毛猫が一匹いた。動物愛護団体の女性らが、「宗谷」の安全航海を願って考え、持ち込んだ。平和な時代だな~。
○名前は「タケシ」と呼ばれ、隊長の永田武に由来。当初は南極への往路のみの随行であったが、隊員の希望で共に南極に降り立ち越冬した。隊員と越冬犬、それに「タケシ」を降ろして帰(復)路についた宗谷は、中途氷に阻まれ身動きとれなくなり、ソ連の砕氷船「ビオ号」に救助された。「宗谷」は「」を改造船であった。
○樺太犬は犬ぞりの使役用であり、カナリアは二酸化炭素の「検知器」の役割があった。「タケシ」は紛れもない「ペット」なのだ。
○1年後、第二次南極観測隊が迎えに来ると、タロ・ジロ・リキなど樺太犬の15頭は理由(観測船まで中継するセスナ機に乗りきれなかった)あって昭和基地に置き去りにされた。最初に同行した樺太犬は19頭であったが、一冬で3頭が失踪または死亡した。
○実は、同行した樺太犬19頭のうち「シロ子」のみが♀で、南極の基地で8頭の仔犬を生み、随行犬19頭中、「シロ子」とその仔犬8頭に「タケシ」のみが隊員らと共に帰国した。
○観測船は、この時も操縦が不能となり、ケープタウンに寄港し、その後の一行は飛行機で日本へ帰国した。
○「タケシ」は南極で最も懐いていた隊員の作間敏夫と共に帰国したが、帰国の夜、逃走し、その後の消息は不明である。

○(余談として、・・・)第一次越冬隊に選ばれた樺太犬の最初の総数は22頭で、うち3頭は病気で帰国して越冬しなかった。
○1959年1月14日、第三次越冬隊により、タロとジロの2頭生存が確認された。タロは第四次越冬隊と共に、1961年5月4日、4年半ぶりに帰国。そして1970年8月11日に14歳7ケ月で死亡。
○鎖に繋がれて置き去りにされた15頭のうちタロとジロを除く13頭は死亡していた。タロとジロはペンギンなどを捕獲して生き延びていた。この兄弟は首輪抜けが上手であった。
○今では、南極の生態系を攪乱を防ぐため外来の生物持ち込みは禁止されている。シロ子とその8頭の仔犬を帰国したのはこの観点から妥当な選択であったのだろう。シロ子以外は全て♂であったから。

○最後に、(「タケシ」での〆ではないが・・・)南極に使役犬として同行された19頭の樺太犬に敬意と哀悼の意を表してここに彼らの名前を記す。アカアンコクロゴロジャックシロシロ子ジロタロテツデリー比布のクマ風連のクマペスベックポチモク紋別のクマリキ

南極での難局に堪えた「タケシ」。「タケシ」の種(遺伝子)は絶えるどころか、蔓延っている筈だ。あなたの猫も(〆てみました)

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